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「確定バイアス」について Certainty Bias

「確定バイアス」というのは、私がでっち上げたもので、人間の思考に於いて、物事がはっきりしないことを嫌い、
その結果として本当はそんなに確かなことではないのに「確かである」と思い込みたがる傾向のことです。

これは、人間が考える理由の一つが「より良い(と思われる)行動」を選択する為であり、その選択をするには、
選択肢の一つが明確に他のものよりも優れている必要があり、もしもそれが明確でないと「不安」を感じるから
なのだろうと思われます。

また、感覚に於いても、「苦痛」という嫌なのがはっきりしているものはともかく、なんだか微妙な「くすぐったさ」が、
実はかなり耐えがたかったり、無視するのが難しい場合がありますし、感情に於いても、モヤモヤとした漠然とした不安が、
はっきりした嫌悪や恐怖よりも扱い難い場合があったりします。

これは、情報を処理する場合に、一番単純な「在り無し」、「1と0」、「高低」、などの二つの間での「振り分け」をしないと話が始まらない
というとっても初歩的な仕組みの問題に起因していると私は思っておりまして、この仕組みから来る「確定バイアス」は、
「測定」以外にも様々な面で我々の思考と行動をかなり左右している重大な要因の一つである、と確信しているのですが、
そう思っている人はどうやら少ないみたいです。


測定に於いて「確定バイアス」が何故重要か?と申しますと、汚染が在る、又は無い、など、単純明快な結論を
心地よく思うあまり、安易な安全論や軽率な危険論に走ったり、測定機の能力や自動判定を過大評価して叫びだしたり、
「慎重に検証して、より信頼性の高い測定をする」という姿勢の邪魔をするからです。

簡単に言うと、人間は「分かったつもり」になるのが大好きで、「分からない」ことが嫌いで
「分からない」ことを認めるのは大嫌い、「分からない」状態に留まるのは苦痛な為、
アホな結論に飛びついてしまう傾向がとってもとっても強い、ということです。

これは、スペクトル測定の場合、汚染が酷かったりして素早く分かれば問題になりませんが、
それでも厳密な定量をしたい場合や、あるいは、微妙な汚染を調べたい場合などは、
汚染の程度や有無すら分からない状態で、じっと我慢してガンマ線スペクトルの成長を待つ必要があるので、
その邪魔になりやすいのです。

特に、子供や考え方が単純で、「二者択一」的な思考しか出来ない人、あるいは、頭が固くなって「断定」的な思考をしたがる人、
そして、せっかちな人などは、なんらかの「結論」、自分が予想する「結論」、よさそうな「結論」が在れば、それで満足し、
「結論の中身」や「結論の妥当性、確かさ」などを気にしないという極端な「確定バイアス」をお持ちだったりするので、
物事をじっくり吟味するのには向いていません。

また、「数値」というのは、多くの人の脳味噌にとって「確定性」の一つとして作用するので、
3Bq/Kgとかいう数値を機械が出したりすると、それで分かったつもりになって、「安全だ」、「危険だ」と
更なる単純な振り分けに走ったりしがちです。

もちろん、単なる「優柔不断」や「決断恐怖症」から来る判断の保留には、大きな弊害がありますが、
「明確に分かってないこと」は、「判断できないこと」や「行動できないこと」とは違うことが身に沁みてくれば、
数々の不確定要素を抱えたままで、色々な判断をしたり、行動をすることは、難しくないのです。


少し似た話には、ありがちな科学者の見解の変化が挙げられます。

例えば、(稀に居る真面目な)学生が学び始めのころは、分からないことだらけで、分かりたくて必死に勉強し、
ある程度分かってくると、科学で色々な事が(なんでも)分かるかのように思い始めます。
ところが、もっと専門的なことが分かってくると、実はとっても基本的なことがあれこれ分かっていない、というのが
段々と分かってくるようになり、少しは科学信仰も冷めて、謙虚になってきます。

もちろん、薄っぺらな学者さんは、何でも分かったつもりのままで終わる場合もあるでしょう。

でも、もっと突き詰めて、やっぱり科学も錬金術やブードゥー教の成れの果ての「お話」の一つに過ぎず、
本当は、分かっていることなんて何一つ無いのではないか?などと思い始めて、そのまま死んだり、
発狂したり、宗教に先祖返りしたりする人もいるかもしれません。

この例を「確定バイアス」という観点から見ると、最初は、単純に、「ニューロンが繋がりたがる」などの
「幼児の何故何故病」の発展形としての「論理体系確定病」という形の確定バイアスによる行動で必死に学習し、
ある程度、各種の要素が地図の様に繋がると、「安心感」が出てきて、「分かってきました」ホルモンが盛んに分泌されます。
(この辺の「ニューロン」とか「ホルモン」というのは、単にテキトーな脚色ですので、怒らないで下さいね)
で、「分かってきました」ホルモンの快感の中毒になってくると、他の「分からない(不安な)」ことも、
同じ手口の犯行で片付けられると期待してしまい、一気に「確定的」な科学カルト信者に変身したりします。

ところが、「確定バイアス」がある種「まとも」に機能していると、「不確定要因」を全て抹殺しようと企みますので、
どんどん、専門的になったり、哲学的になったり、学問体系の基盤や根っこを掘り始めてしまうのです。

そうすると、どうやら、どんな体系も、別の体系の助け無しに、自己完結的に不確定要因を抹殺出来ないし、
分子だ原子だ素粒子だ、と、どんどん細かくなっても単純化するどころか複雑になったり、不確かなことが
増えていくみたいだし、「不確定要因の抹殺」という企み自体が無理なんじゃないのか?本当は、「確か」には
何も分からないのではないのか?とか、思い始めるわけです。

で、「分かりたいけど、どうやら分からないみたいだ」という不安な状態に耐えられないと、
病的に狂ったり、宗教に狂う病気になったり、色々な症状があるのでしょうが、
「(完璧には)分からない」というのが「分かった」つもりになる、という誤魔化し方で精神バランスを保つ場合もあります。
また、稀には、「確定バイアス回路」みたいなものが壊れちゃって、「分からないまま」で
安心ホルモンが出てしまうようになる場合も、あるのかもしれません。


この様に、「確定バイアス」は、慎重な測定の妨げになるだけでなく、人生の様々な局面で
我々を突き動かす要因の一つであり、「断定したがる」、「分かったつもりになりたがる」、
「分からない」不安に対する極度の脅え、といった症状を引き起こしたりするので、
十分に注意した方が良いように思います。

で、安直な確定性にも、不確定性の泥沼にもはまらない為には、(測定に限らず)「目的」をはっきりさせると良いでしょう。

つまり、自分が、なんで、測定したいのか?というのが分かっていれば、
どれくらいはっきりと分かるまで測定すればよいか?というのも分かってくるでしょうし、
その為には、どんな測定機や遮蔽を揃え、どんな条件でどれくらいの時間(又はカウント)測れば良いのか?とか、
筋道を辿って考えれば、段々に明らかになってくるからです。

もちろん、最初は、その筋道が分からないし、利用可能な選択肢もその選択基準も分からないので、
測定機に対する過剰な期待を持ってしまったり、オーソドックスな手法(例えば、遮蔽に鉛を使うこと)を過度に避けようとしたり、
有りがちな変遷を辿るのでしょうしある程度勉強する必要もありますが、
参考になる資料なども蓄積されてきてますので、徐々に慣れていけば良いでしょう。


まとめ

「分からない」「はっきりしない」というのは、気持ちの悪いことだったり、すっきりしないで嫌な場合が多いですが、
「自分が特定の目的の為に納得できるレベル」の確かさが得られるまでは、妥協せずにとことん検証を続け、
「安易な結論」の誘惑に注意しつつ「モヤモヤした状態に必要なだけ踏み止まる癖」を付けるようにすると、
測定をする時や、測定環境の整備などに於いても、ありがちな間違いを避けられるだろうと思います。

スペクトルを見る場合には、まだスペクトルが滑らかになっておらず、ギザギザな状態では、
そのギザギザの上下の振れの幅が「測定の不確かさ」をある程度表しているので、
山がはっきりとギザギザの振幅から飛び出して、しかも分解能に相当する十分な幅があるのでない限り、
「確定的」なピークとは、見なせないと思います。

言い方を変えれば、ギザギザの振幅の中のデータは、まだ、その時点での誤差の内、と思っていた方が
良いであろうと思います。


関連項目

数値信仰とその弊害 Cult Of Dead Numbers

Sirouto Sokutei Course 、 Basics Of MeasurementQuick And EasySpectrum FormationGiza GizaVisual Peak Detection のページも合わせてご覧下さい。

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Last modified : Wed Sep 24 22:12:40 2014 Maintained by nkom AT pico.dreamhosters.com