Twitterなどの「Disり屋さん」たちについて
Twitterなどでは、「Disり屋」の様な方も結構いらっしゃる様で、
自分(たち)が嫌いな人(たち)を集団で叩いたり、とか、まあ、子供の集団いじめと
同じようなことをやっているのを目にします。
「呆れた」「周回遅れ」「放射脳」「デマッター」「風評被害製造機」などなどのレッテル貼りの手法に頼り、
欠点と思える点を探し回って「けなす」ことに重点を置いているのであれば、
それは、「測定の向上」や「測定の普及」を考えているのではなくて、
「測定の妨害」を意図していたり、あるいは「自分も大なり小なり馬鹿な間違いを犯す」という自覚が
少ないのではないか?とか思います。
今まで、いくつかの職種や国々で色々見てきて、私は間違いを犯さない人は見たことがありませんし、
完璧に整合性のある考え方感じ方しかしない人も見たことがありません。
私も、もちろんそうですが、全員、例外なく、間違いをしでかしたり、矛盾した考え方や
偏った感じ方とかをしていたり、もう少し率直に言うと誰もが「狂っている」様に私には思えました。
なので、変な宗教を信じていようが、トンデモ理論を実践してようが、(特にそれが「個人的」な
信仰や行動なのであれば)私は、あんまり気にしません。というか、「変な人」は面白いので
結構好きな場合があります。
まあ、放射能や原発関連の事柄には「莫大な各種の利権」や、
「一部の人たちの強い思い入れ」があったりするので、熱心に測定所や一般市民の測定を
けなそうとする人も居るのでしょうし、そういう利権がらみの批判を気にし過ぎると、
他の測定所や一般市民の測定を利権集団と一緒にけなしてしまうように
なってしまったりする場合もあるんじゃないか、とか思いました。
そうすると、一部の人達は、測定する興味を失ったり、測定について公表するのを自粛したりして、
測定結果の共有が減り、「い・ん・ぺ・い」したい人たちや安全/危険のどちらに於いても
「偏ったデータ」を見せたい人たちにとっては、有利な結果になりがちです。
かなり愚かな動物である我々人間は、このような「集団いじめ」や「Disり屋」的な言動に
陥らずにはいられないほど狂っているのが実状なのかもしれませんし、一度付いた癖は
なかなか抜けないので、これからも色々な「いじめ」や「Disり合戦」が繰り返されることと思います。
また、政治戦術、企業戦術、広告戦術、カルト戦術においては、集団いじめ的なDisりを繰り返すのが
常套手段のようですし、一般の人がそれに染まってしまい、同じような行動をしてしまう例もあるでしょう。
なので、そういうのが気にならない人は無視して自分のやりたい事に専念するもよし、
気になる人は自分なりのやり方でいじめを減らす試みをしてみるなり、いじめの害が見られるなら
それを減らすようにしてみるもよし、各自が好きな様にすれば良いと私は思います。
私は、個人的には「風評被害」という言い草は「クソ食らえ」と思ってますし、
汚染地域で作られた食品は、自分が食べるのならともかく、他の人には勧める気にはなれません。
基準値以下だろうが、汚染されていると分かっている食品をどうして薦められるのでしょうか?
そうすると、農薬の汚染もあるし、ソ連の事故で既に汚染されていたし、なんで放射能だけ、
今更気にするのか?とか言い出すアホな方もいらっしゃるようですが、
農薬問題もあって、ソ連の事故の(これもまた隠蔽されてきた)汚染もあるのだから、その上に
今回の事故の汚染まで上乗せしたがるのなら、そういう方は遠慮せずに
もっと汚染されたものでも食べていればよいでしょう。
で、今回は、「測定関連」についての「Disり屋さん」を見ての感想で、主に「安全派」の側を例にとってありますが、
「危険派」の側にも、同じような言動があるのは、言うまでもありません。
たとえば、「御用学者」とか「工作員」とか、確かにそういう「レッテル」によく当てはまりそうな人もいらっしゃいますし、
そういったレッテルばかり貼り付けて「けなしあい」をするのは、安全派も危険派も別に好きなだけやって頂いて結構なのですが、
見ていて面白くはないですし、「芸風」としては一部の読者に対して有効なのかもしれないけれど、私は好きではないです。
また、測定関連について言えば、危険派の皆さんの中には、機械の核種判定支援機能の出す核種のリストが
確実に存在するかのように思い込んでいたり、「やらせ」「捏造」の疑いが濃い動画を拡散したり、
安全派の過小評価や安全デマに負けない危険デマと呼ばれてもしょうがない情報もありますし、
情報については、「鵜呑みにしない」ように十二分に気を付けた方がよいだろうと思います。
また、一度「危険デマ」「安全デマ」を流してしまった人が、いつも間違った情報を流しているとは限らないし、
日ごろ慎重に情報を流している人が、絶対間違わないとも限りませんので、盲信、盲従は禁物だと思います。
同時に、嫌いな人の言うことやることを全部否定したがるのも分からないでもないですが、
全否定も盲信と同じ心の仕組みから来ているように、私は思います。